この神社は天孫ニニギの尊の妃、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀り、都萬神社または妻萬宮と申します。
祭神木花咲耶姫はオオヤマズミの命の姫君でニニギの尊との御結婚にはコトカツクニカツナガサの神が媒酌をとりもち、日本最初の正式な華燭の式典を挙げられました。故に古来からこの結婚の喜びにあやかりたいと崇敬の厚いお宮であります。
西都原御陵参考地の正面にある女狭穂塚はこの神社の祭神木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の御陵とつたえられています。
西都原古墳群を生かしたフィールドミュージアム。建物は古墳の墓石や石室をイメージしています。常設展示は置かず、進行中の考古学の研究をダイレクトに伝える常新展示を展開し、また展示物を実際に触ることができることなど、来場者が大変楽しめる施設です。
石貫神社はコノハナサクヤヒメの父の山の神オオヤマツミノカミを祀っています。鬼と「一晩で岩屋を完成させれば娘を嫁にやる」と約束したオオヤマツミが、鬼が完成させた岩屋から1枚抜き取って投げた石が落ちた場所と伝えられています。参道入口にはそのときの物とされる石が据えられています。
石貫神社から西都原古墳に向かう途中の坂道に差し掛かったあたり、左手の急斜面にある長い階段(約170段)が通称「石貫階段」です。この階段を上ると、西都原の広大な古墳群が広がります。ヤクルトスワローズがキャンプの際この階段を使ってトレーニングしていました。
鬼のコノハナサクヤヒメを嫁にと願う悪鬼が、ヒメの父オオヤマツミノカミから一夜で岩屋をつくるように言われ、完成させたところと伝えられています。古墳の入口から玄室に至る道の天井に大きなすき間があり、オオヤマツミノカミが石を1枚抜き取った跡ともいわれています。
男狭穂塚はニニギノミコトの御陵、女狭穂塚はコノハナサクヤヒメの御陵として、宮内庁が明治28年に御陵墓参考地として指定しています。男狭穂塚は全長155mの国内最大規模の帆立貝形古墳ともいわれ、女狭穂塚は全長176mの前方後円墳で九州最大規模を誇っています。
コノハナサクヤヒメが出産のために造った産屋(うぶや)の跡と伝えられています。たった一夜で子を身ごもったことをニニギノミコトから疑われたコノハナサクヤヒメは、身の潔白を証明するため、戸の無い産屋に入り、燃えさかる炎の中で3人の皇子を生んだといわれています。
石貫神社から西都原台地につながる石貫階段を登ったところにある前方後円墳で、山の神 大山祇命(オオヤマツミノカミ)の御陵といわれています。西都原古墳群の中で名前のついている古墳は少なく、オオヤマツミノカミを祀る石貫神社の秋の例祭では、この御陵の前で神事がとり行われます。